新聞の社説を読んで・・・


今朝の新聞社説では 教育を取り上げていました。教育格差をなくすために高校教育の無償化や義務化をしていくことが本当に効果があるのかと言う内容でした。選挙では高校教育の資金面での支援がよく叫ばれています。本当に それで教育格差は無くなるのだろうか?アメリカの専門家による分析では教育を支えている『意欲』と『能力』の二つは幼少期の教育に大きく左右されている結果が出ています。加熱する受験の反省から ゆとり教育になり 学力低下になりました。学力低下を危惧し 今は脱ゆとりになっています。学習内容が増えました。学習内容が増えれば、学力向上を図れるのか?実際の学校現場では、ゆとり時代以上に授業が遅れ、『意欲』も『能力』も失われているように思えます。教師の雑談は増え、その雑談が学習の面白さを引き起こす内容であればよいのでしょうが、やっている雑談は日常生活の事ばかりです。もう二学期が終わろうとしていますが、学校で進む事ができたのは教科書の半分にすら届いていません約44%です。残りの56%を三学期でやることになります。始業式があり、中三の懇談会のために半日授業になり、二月は通常月よりにっすっが短く月後半になれば学年末テストです。そして三月になれば 卒業式があり 生徒たちは部活に目を向け授業に身が入らない日々が続きます。そういったことが判って 授業が進んでいるのだろうな、と聞きたくなってしまいます。『その気になれば こんな内容は数週間で終えられる。』とうそぶいている姿にもがっかりでした。幼稚園児に『ひらがな』を教える時、大人にとって当然の事・すぐにできることであっても 受け手の幼稚園児にとっては 当然でも すぐにできる事でもありません。教師であれば そんな当然のことが判っているはずなのですが そんなことも判らずに生徒の前に立っているのか、と耳を疑いたくなる言動が多いのが実際の現場です。学力低下の主因は教育現場での指導力や教務力の低下ではないのか?そう感じることの方が多くなりました。無償化論は良いとは思いますが、真の意味で教区格差をなくしたいなら 教育環境を整えることが最優先課題のように感じます。人・施設・指導者を育む環境などです。
幼少時の環境と知り、初めて読んだ本の事を思い出します。絵本でなく漢字交じりの伝記を読みました。源義経でした。彼がやった奇襲戦法や出会った人々を知り感銘を受けました。小学四年生の時でした。図書館で借りてきた二百ページくらいの単行本でした。毎月学校で販売していた学研教材は付録が楽しみでした。付録を通し、色々な仕組みを学びました。なぜ?どうすれば?といった探求心は育めました。当時はゲームもなければ、テレビ番組も限定されていました。そんな時代だから 勉強もしてきたのかもしれません。


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