勉強するっていうこと、授業を受けるっていうこと


最近、考えることが多いのは授業の受け方や勉強の仕方が判っているのだろうか?という点です。判っているけど 今まではやってこなかったから これからだ。それって塾の宣伝文句ですよね。判っているなら 今までに そこそこの点数は取ってきたはずなんです。満足できるだけの成果を挙げてきたはずなんです。
ああしていたら・・・ こうしていたら・・・。これって夢に浮かされている人のセリフでは?
じゃ 勉強って何?今までの学習でもやってきたように 学習を進めていったら まず全体像をおさえる事です。そして各項目を掘り下げ、知識やパターンを覚える事です。さらに応用問題などで 同パターンや知識を使い、何に注意するかをおさえ練習する事です。ここまでやって勉強なんです。
全体像をおさえられていなければ、問題を解くアプローチが定まりません。例えば、確率だな?と思ったとする。4パターンの中のどれかが見えなければ、書く図も定まりません。連立方程式だな?と思ったとする。3パターンの中で どれに近いかが見えなければ 表が書けません。何度も経験してきたように 表が書ければ文章題は解けます。授業で何度も経験してきたように それは100%に近いレベルで解けます。こんな考え方は教科書に記載されている訳ではありません。それは教師や講師が授業の中で話したり実演したりすることなんです。
見よう見まねで まねっこし、自分流にアレンジできたら最高。若手講師達に よく言ってきたことの1つが 『各個論に走るな』です。これは今日明日授業でやる事だけを見るな、単元全体を見て授業展開しろ、という意味です。例えば 『正負の数』を教える。教科書では二転し三つのやり方を記載しています。これは小学流の算数式計算から本来の数学式計算にステップアップするために1段ずつ階段を昇るようにしているからです。欧米では 本来の数学式の式・符号の捉え方を小学時代からしています。結果的に数学が苦手な人が多いのも事実だし、得意な人のレベルが非常に高いのも事実です。日本流は平均的には底上げになっていますが、トップレベルの層が薄い結果をももたらしています。脱線しました。二転する中では全体を捉えて指導しなければ、受け手の生徒は振り回され混乱してしまいます。全体像が見えている人は、1つの考え方だけでなく 別の切り口でも問題を考えられます。そうやって視野が広くなるのです。
もちろん全体をおさえただけでは 問題は解けません。深い知識やスキルが必要です。受験勉強では この知識とスキルにスポットが当てられがちです。毎日、『今日は あれを整理し覚えよう』『あの問題の解き方を確認し手順を覚えてしまおう。』『今日は あのページからあのページまでの英単語を覚えよう。』『あの問題集のあそこの単元をやってしまおう。』と思い実行する。それが受験生の毎日です。何も 定期テストや実力テスト前だけではないのです。
受験当日、どんな問題なのか と不安になる中で 自分を支えてくれるのは これまでにやってきたことだけなのです。天才と呼ばれる人を除けば 多くの受験生にとっては 『これだけのことをやったのだから』という経験だけです。
授業を大切にしなければなりません。何故なら6~10時間の受験勉強時間の大半は自分でやる勉強だからです。授業で考え方や知識を学び、整理の仕方やポイントを学び、自分で整理し覚えなければなりません。だから 勉強は受身でやるものではありません。本人が自発的に取り組むべきことなのです。
授業中は集中し 一言も聞き逃さないようにしていかなければなりません。授業中、皆さんの手は何処にありますか?机の下?おかしいです。『ちゃんと先生の言う事を聞いているんや。』 ふーん。あとで 自分で使いこなせるんだね。メモしなくて良いの?じゃ次のテストは満点だね。授業中はノートを広げ、ペンを手に取っているのが当たり前の姿です。ノートは板書を写すだけでなく、自分自身が気になったことがメモされているのが当たり前の姿です。
家に帰ったら、今日聞いた内容を確認し整理するのが学習の基本的な姿です。だってノートは乱雑なメモで埋まっているから。身に付けたことを確認しないで 眠るなんて もったいないから。


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