スーパーにて・・・


小中高と自分自身が過ごした地元で塾をやっていると、地元の方々から色々な声を聞かされます。
先日は、市内中学校の体育大会でした。その当日、近所のスーパーでの会話ですが、最初は体育大会の話でした。三十数年前は、仮装行列や応援合戦があった。部活行進も優績の部はデモンストレーションがあった。組群ごとの対抗戦だった。映画音楽を使った創作フォークダンスもあった。保護者も生徒も楽しめる要素があった。小学校の運動会より 充実していたから 中学生活が有意義だった。
そんな話から、最近の中学生は勉強をしない、といった話になりました。
『先生、最近の中学生は勉強しませんね。昔は もっと勉強したような気がするのですが・・・。』
『勉強の仕方が判っていない気がする。』
『トップ校の合格者数もずいぶん減ったような気がする。』
『市内でワースト3に入るまで学校平均の学力が低下しているようですが、危機感がありません。』
『受験生にとって二学期が勝負なのに、全然火がつかない。』
私は ほとんど唖然と『そうですか。』を繰り返すばかりでした。

現状は、勉強に関しては二極化が進んでいます。80点や90点を当たり前のように取る中学生は増えています。学内でも3人に1人くらいの割合で存在します。逆に、平均点を大きく下回る生徒も増えています。やっている人とやっていない人の差が どんどん出ているのが現実です。成績分布表から判断すれば、本気で勉強している人・そこそこ勉強している人・勉強していない人の三者で等分されているようです。つまり 3人に1人が本気で勉強し、1人が無難に勉強し、1人が勉強しないという姿です。先日の受験講座でも言いましたが、勉強って何?が判っていない人が多いのも現状です。入試レベルとはいえ、基本事項が抑えられていればパターン問題だから調べれば必ず宿題をすることはできます。問題を見て『難しそうだからパス。授業で開設を聞こう。』は勉強ではありません。予習なら話は別ですが。
『先生、宿題のプリントを多めに出してください。』と言われますが、多量の宿題プリントは学習習慣の定着には役立ちますが、学力向上には価値がない場合が数多くあります。それは解ける問題しか解かないからです。50の力があり、簡単に解ける問題しか解かなければ、力は50のままです。放っておけば、定着ができず50の力が40にも30にも下がってしまうという場合には有効です。その場合も宿題の量は多量にはならないのが常です。本来の宿題は、調べたり覚えたりと手を尽くし授業に臨む事のはずです。そう提唱すれば、投げ出してしまう人が多く、『解ける問題だけでも解いてきなさい。』が 定着してしまったように思えます。
100やって100の成果を求める。一昔前に『サルでもできる○○』といった本が流行しました。その結果が『お手軽時代』の到来でした。そして お手軽な結果が中身の薄い形だけのスタイルです。分数ができない大学生が話題になり、小学生化した大学生が動画でアップされるようになりました。学問で中身のない力は赤信号です。本来の勉強は、もっと手を尽くしたものでなければなりません。サルでもできる式のお手軽なものではありません。それでも塾では最短ルートを模索しますが。
学歴社会から能力社会に移行しつつあると言われています。学問を探求するはずの学生は遊び呆けるだけで、そもそも大学進学は働かずに済むという理由で進学している学生も多くなりました。そんな世相を見れば、大学進学の価値に首を傾けたくなる気持ちも理解できますが、それでも本来あるべき姿を取り戻していきたい、と会話を聞いて感じました。


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