教えるって 何だろう?


やっと始業式を迎え春休みが終わりました。先日、他塾に通っていた生徒さんが体験授業を受けましたが、教えていて気になる事がありました。 前の塾は宿題の多い塾なので、きちんとは覚えられていなくとも なんとなく覚えていました。多かった宿題の成果ですね。コレは良い。しかし骨格はグラグラ。 教室長が どんなタイプかもわかっているので、おそらく学生講師が対応していたのかな?「AならばB。ハイ、覚えて。違う。ココは こうなる。」例えば、現在形と現在進行形の1つ1つは判っていても、イメージが出来ていない。「区別しなさい。」と言って、英文上は区別できていてもイメージできていないから使い分けができない。 これって、ハリボテ式の学習をしていないのか?骨組が しっかりしていない家を造るようなモノなんですけどね。現在進行形を教える。文の形。意味。こんな感じというイメージを説明する。そこまでで終わっているのだろうな。実際にシチュエーションを作り、生徒を巻き込んで使い分けてみる。1回じゃなく何回も。こういう場合は どっち使う?ああいう場合は どっち使う?とやる。きっと これが教えると言うことなのだろう。解説者で終わっている教師や講師は沢山います。骨組みまできちんと学問を修めていないの勉強した気になっているハリボテの学識を持った学生も増えたような気もします。 骨組みがきちんとできていないと、組み立てから やり直さなければなりません。積み上げたモノを崩し、骨組みを組んで再度積んでいくようなイメージです。判らなくなった所から やり直すのでなく、根幹からやり直さなければならない。2年時に行き詰ったから、2年からやれば良いと言う明けでなく、ベースの考え方からやらなければならない。よく誤解されることですが、受験を想定した時 受験生になってからではなく もっと早い中学生になった時から 各科目の考え方を育んでいかなければならない。しっかり考え方を教えないといけないな、と感じました。 大学で学んでいて、線形代数学のイメージはつけやすかったが、解析学のイメージはつけにくかった。あぁ これが私の限界なのだろう、と授業中に感じた瞬間です。もちろん道具として使うことはできます。研究者としては限界。数学者としては無理。あくまで工学者だな、と思いました。大学一年の時です。

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