宿題って?


講師向けレターの一部です。 <宿題・・・> 宿題って何のためにあるのだろう? 江戸時代の寺子屋でも宿題はあったのだろうか?その割には、時代劇で描かれている童たちは遊んでいる様子が描かれている。家庭学習のためにあるんだ。教育を施すのが学校であるなら、学校で学び身に付けられれば、宿題なんて いらないような気もする。 『学校で学んだだけで身に付けられるのですか?』 そう反問されるだろう。では、身に付けていれば宿題は不要なんですか?宿題をやれば必ず身に付くのですか? 今や、半分義務的に出しているような宿題もある。宿題の形骸化なのか?計算取ドリルをやる。漢字を数ページ書く。一字一字書くのでなく、辺だけ書いて、あとで旁を書く生徒達。宿題って何だろうと思う。 夏の課題も同じ。どうして人権作文のテーマの1つに東日本大震災が四年以上たってもあるのだろう?四年間 虐げられていると いうことなのか?理科の自由研究で 『10円玉磨きは0点扱い』と発言され困惑する生徒達がいる。 本来の宿題の意義は、頭を錆びさせない、学んだことの定着を図るといった意味があるのだろう。そんな意義を考えて宿題が出されているのだろうか?小学時代も中学時代も。 どうも そんな意義は忘れてしまっているような気もする。錆びさせないのが目的なら、錆びているかを確認しなければならない。定着を図るのなら確認し、次のステップに踏み出さなければならない。本来の宿題って、そんなところだろう。 昔、ある塾でやっていた。難問ばかりのプリント裏表で4枚+何百問もの宿題。毎日深夜遅くまで何時間やっても終わらないくらいの量の宿題。それでも提出すると、その日の内にチェックがあり、コメント付きで返却される。そのコメントには、どういうことに気を付け、何を練習すべきか、何を覚えるべきか、どう整理するか、が具体的に書かれている。塾生200名分の宿題を約三時間でチェックし コメントを返すのは 相当に頭の回転が速く、相当に集中しなければならないだろう。それでも、毎回きちんとコメントを返す。 『大変よくできました』というコメントではない。花丸という訳でもない。生徒ひとりひとりへのコメント。ステップアップのためのコメント。形骸化した宿題なんて出しても仕方ない。先生に褒められるだけにこなす宿題も意味がない。内申のための宿題。そんな形骸化した宿題が現状なのか?各講師は、形骸化した宿題でなく 意味のある宿題にしてください。 つまり、生徒がやってきた宿題は きちんと確認し コメントやアドバイスを返す。次のステップへの道標にする。何が判っていて、何が出来ないかを把握し、次の指導に役立てる。活かさなければ意味がない。それを十分に理解し取り組んで下さい。

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